経済アナリストとして有名な森永卓郎さん。
妻は一般人の弘子さんですが、離婚の噂がついてまわるそうです。
森永卓郎の妻は離婚したいのかな?
結論からいうと、2人は離婚はしていませんが…離婚したいと思うくらいの危機は何度かあった様子。
そこで今回は森永卓郎さんの妻が離婚したいと思うかもしれない理由について掘り下げていきたいと思います!
さっそくチェックしていきましょう。
森永卓郎の妻は誰?
妻は弘子さん!
1983年:結婚
婚姻歴:42年(2025年現在)
一般の方ですが度々森永卓郎さんと一緒にメディアに登場しています。
優しく穏やかそうな方ですので、お顔が気になる方は検索してみてくださいね。
また、弘子さんは日本専売公社のバレー部に所属して活躍していたそうですよ!
ガッツのある女性なのでしょうね。
更に、2人の間には息子が2人います。
- 長男:森永康平(証券アナリスト、経済アナリスト、実業家)
- 次男:ITエンジニア
4人家族でワイワイと楽しくすごされているのではないでしょうか。
馴れ初めは?
- 2人は同じ職場(日本専売公社)に勤務していた
- 関東支社の忘年会で出会う
- 森永卓郎さんが一目惚れ
森永卓郎さんが一目惚れだったとは!ロマンチックで素敵な出会いですよね。
勝手ながらちょっと意外なイメージです!
そこから結婚までもっていくのですから…森永卓郎さんはなかなかのやり手のようです。
森永卓郎の妻が離婚したい理由は?
その理由は数々の離婚危機…以下にまとめてます。
出来事 | 詳細 | 妻の怒り度 |
---|---|---|
勝手に退職 | 小さい子供がいる状態で、勝手に仕事を変えた | 80% |
仕事ばかりで帰宅しない | 1日22時間働くこともあり、妻はワンオペ育児 | 60% |
介護問題 | 森永卓郎の父の介護を妻が1人で行った | 90% |
批難されることが多かったから | メディアへの出演が増えた森永卓郎は世間で非難されることが多かった | 40% |
お金を使いすぎ | コレクションの博物館を開館し赤字が続いている | 50% |
なかなかヘビーな内容の離婚危機案件ですが…詳しく見ていきましょう!
①勝手に退職
森永卓郎さんは1988年に日本専売公社を退職しています。
この時森永家の状況としては…
- 子供が生れたばかり
- 妻には事後報告
だったとのこと。
子供の将来も不安になりますし「どういうこと!」と怒る妻の気持ちもわかりますよね。
更に日本専売公社は安定した企業でしたから退職を選ぶもの珍しかったとのこと。
後日弘子さんは「夫はいつも事後報告」と話をしていますので、
時間が経てば「いつものこと」だったのかもしれませんが…当時は不安で仕方がなかったでしょうね。
②仕事ばかりで帰宅しない
森永卓郎さんが経済アナリストとして活動を始め帰宅をしない日が増えてきたそうです。
最長で1日22時間働くということもあったそうなので、家族の時間というのはほぼなかったのではないでしょうか。
この時の心境を弘子さんは…
- 母子家庭のような生活となった
- 夫は他人にみえてきた
と話をしています。
怒りを通り越して…呆れているというか…氷のような関係性になってしまったようですね。
子供2人を抱えてのワンオペ育児、「離婚したい」と思うのも仕方がないのかもしれません。
③介護問題
2006年森永卓郎さんの父親が脳出血で倒れ、介護をする必要が出てきました。
- 多忙な森永卓郎さんは妻に全任せ
- 「誰の親なの?」と妻は怒りのメールを送る
- 施設に入所したことで介護問題は終息
この問題はかなりの離婚危機だったのではと思います。
自宅介護だったときは…
- 自宅中に警報ベルを設置し、鳴ると夜中でも妻が駆けつけた
- 自分は週末にしか家に戻らなかった
- 父は言葉は話せたので、妻に文句を言い続けていた
- 「父の性格は治らない」と父側に立って意見をしてしまった
とかなりハードな内容だったそう。
小説の世界のようですね
忙しいといっても「自分の親」ですから、妻に全振りというのは…なかなか厳しいですよね。
話し合いがあった上でであればまた違ったのかもしれません。
施設に入所し問題が終息したとしても、夫婦間のしこりは残るのではと思いましたよ。
多くの離婚危機があった森永夫妻ですがこの介護問題が最も大きな試練だったのではないでしょうか。
④非難されることが多かった
経済アナリストとしてテレビに出演することが多かった森永卓郎さん。
時に過激な発言も多く、非難されることも多かったようです。
妻の弘子さんはこの出来事に対し…
非難しかされなかったから、森永卓郎の妻とバレたくなかった
と話をしています。
森永卓郎さんをテレビで見る限り、ご本人はあまり気にしないという雰囲気ですが…確かに妻としては傷つきますよね。
子供のことを考えても「知られたくない、ばれたくない」と思うのは当然かもしれません。
⑤お金を使いすぎ
森永卓郎さんの趣味は「コレクション」。
そのコレクションを展示するために、博物館を開館しています。
名称:B宝館
住所:埼玉県所沢市けやき台2-32-5
オープン:2014年10月4日
展示品数:約12万点
森永卓郎さんが50年かけて集めたコレクションを展示しているとのこと!
博物館にしようという発想がすごいです!
ただ、このB宝館ですが…
- 年間赤字:900万円
- 累計赤字:3億越え
というなかなか厳しい運営費だそうです。
これは妻としては信じられない!という気持ちではないでしょうか。
森永卓郎さんの性格的にもオープン自体も事後報告だったのでしょうから…弘子さんの衝撃はどれほどかと考えます。
離婚のきっかけとなる案件でもありますよね。
森永卓郎の妻が離婚しない理由5選!
それでは森永卓郎さんの妻が離婚をしない理由は何かというと、以下が推測されます。
- 森永卓郎さんの性格
- 森永卓郎さんに感謝をされているから
- 森永卓郎さんの体調不良
- お金の管理ができないから
- 40年以上一緒にいるから
こちらも詳しく見ていきましょう!
①森永卓郎の性格
森永卓郎さんは非常に穏やかな人。
結婚の決め手として、妻の弘子さんは…
(森永卓郎が)怒らない性格だから
と話をしているようです。
一方で妻の弘子さんは感情的になることもあるとのこと…
なんだか意外なのですが、そんな2人だからバランスがとれているのでしょうね。
つまりこの「穏やかで優しい生活」が居心地が良いということもあり、離婚はしなかったようですね。
②森永卓郎に感謝をされているから
森永卓郎さんは妻の弘子さんに対し感謝の言葉を伝えています。
主に感謝をしている点は2つで…
- 育児
- 介護
を任せていたことへのお礼だそうです。
とくに介護問題に関しては…
(森永卓郎の)父が妻へ感謝の言葉を述べていた
と話をしており、自分の行動を振り返るきっかけにもなったのではと思います。
事後報告ばかりの夫だとしても「感謝されている」と本心が伝われば、妻としても許さざるを得ないのかもしれないですね。
③森永卓郎の体調不良
森永卓郎さんは2023年にがんを患ったことを公表しました。
闘病生活はもちろん大変でしょうが、森永卓郎さんは…
がんになってから新婚のよう
と話をしています。
現在妻といる時間が長く、昔の事やこれからのことを沢山話をしているのかもしれませんね。
もしかすると妻から「あの時は辛かったのよ!」と話をされているのかも…
心穏やかに2人の時間が流れるといいなと思います。
④お金の管理ができないから
森永卓郎さんが経済アナリストということもあり、お金の管理はほぼ森永卓郎さん自身がやっている森永家。
弘子さんはもともと無駄遣いをする人ではないそうですが、森永卓郎さんがやりくりをしていたこともあり無頓着になってしまったそう。
森永卓郎さん曰く…
- 結婚して20年後から生活にようやく余裕がでた
- 妻も子供もお金の苦労を感じたことはない
- 細かく資金計画をたてて家計破綻を回避し続けてきた
とのこと。
つまり実際にお金が厳しくてもそう感じさせなかったのは森永卓郎さんの手腕ということなんですね。
そう考えると離婚して1人で生きていくというのは少し怖いという気もします。
離婚を躊躇する理由にもなりそうですよね。
ちなみに森永卓郎さんは自分になにかあった場合に備えて、資金管理に関して妻にレクチャーしている最中だそうです。
⑤40年以上一緒にいるから
森永卓郎さんと妻の弘子さんは2025年で結婚42年を迎えます。
多くの離婚危機を乗り越えて2人の子供を育て上げた夫婦ですから、周りの人にはわからない絆はもちろんあるでしょう。
離婚しない理由として「もうこれだけ一緒にいるから」というのはかなり大きいのではと思います。
話を多くするようになってそれでも森永卓郎さんと妻の心の距離があったら”熟年離婚”もあり得たかもしれませんが、
2人で話をし、「感謝を伝える」ことができる森永卓郎さん。
今更離れるもの違うという感じなのかもしれませんね。
もともとが相性の良い夫婦なんでしょうね!
まとめ
今回は森永卓郎さんの妻は離婚したかったのか?についてまとめてみました。
【森永卓郎の妻は離婚したかった?】
- 離婚を考えたことは多いと予想
退職を勝手に決める、仕事に没頭しすぎる、など理由は多いが特に介護問題では妻の負担が大きく、激怒メールを送っていた - 離婚をしない理由は、森永卓郎の人柄と2人の絆
40年以上も一緒に生きてきた森永卓郎さんと妻・弘子さん。
2人の絆は離婚危機を何度も乗り越えるほど固いのかもしれませんね!
★森永卓郎の再婚のデマ情報の出どころについては別記事でまとめています
最後までお読みいただき、ありがとうございました。